なんでもすぐ忘れてしまう

敬愛する岡崎京子さんの著作ではないけれど
年々、気持ちを大事に持っていられなくなった
自分を感じる。
誰かを好きになることや、なにかに夢中になって追い掛けたり
すること。
以前ならば、いろいろなものや人を同時に追い求めることが
できたのに今はいちどにひとつだけ。それも、とても短い。
ひとつづつを大切にできなくなっている。
どんどん新しいものが欲しくなる。
たとえば、作家のこと。
中島らもさんが亡くなったけれど、周囲の友人たちほど
ショックでない。
リリパット・アーミー」やオリーブでの連載、
「明るい悩み相談室」が好きだった自分が、
いまはもういない。老いて、どこかに置いて来た。
それらが好きだった頃の自分はいつも寂しく、よるべなかった。
知識を仕入れて孤独を紛らわせていたと思う。
いまは、それら知識をとどめておけるスペースがなく
好きになっても、関心があっても、あっというまに薄れる。
作家や作品に対する思い入れがどんどん薄れていて、
衣食のことにのみ執着するようになった。
あんなにゆたかに暮らすことについて考えていたのに。
 セツ・モードセミナーに通っていた時、長沢節先生は
「なくなってしまうものは、いずれそうなるはずのもの」
とお話していたけれど、自分にとって
ゆたかな生活、文化というものはしょせん学校に行っている間だけの
理想の付け焼き刃ってことだったのだろうか?
これが働く大人の姿?このうるおいのなさに抵抗したい。
頭が砂漠になっていく。