ネタバレについて考える。

この問題はとても難しいと思う。
ポイントはそこに悪意があるかないか、ではないでしょうか?
でも、この悪意ってのも定義がなあ。
無邪気な、あっ!これもネタバレだったのね?みたいな場合もあるし…(もんもん)
たぶんモリが言いたいのは、推理小説を読んでる人の横で
「犯人は○○だ!」とか、「実はこうだった!」みたいな謎解きを
最初に言うようなことをするなってことだと思うんですが、感想もダメって
何かを人と共有したがりの私には、なかなか厳しいことでございます。
とにかく、身もふたもないネタバレはやめてってことでしょうねえ。


この下は個人的な考えを長々と書いてます。違うって思う人もいるかもなあ。

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わたしは、ある大掛かりな演劇や映画について、なんの情報も持たずに
全くのまっしろな状態でなんの印象も持たずに見にいくことは
いまの世の中では無理だと思うのですよ。これだけ情報手段が発達しているし。

ネットは見ないという人でも、これだけ長い期間だったらどこかで劇評を
読んだりすることはあると思うし、なにかの話に派生して出て来ることもあると思う。
"いま流行りの"大泉洋氏が出る、っていう、それだけで舞台を見、なんの考えもなしに
自身のweb日記でネタバレをすることも予想できる。
業界関係者なんてのは意外と多いと思いますよ。
CUEダイアリーを見ているような関係者だったら、違うと思うけれども…。

それから、ありとあらゆる宣伝だって、ネタバレ要素を持っているんではないかと思う。
ポスターのデザインひとつとっても先入観の元になると思うし…。
見る人にこういう風に受け取ってもらいたい、こんな人に見て欲しい、と
テーマを持って作られてる時点で、内容についてのなんらかの情報は含まれるわけです。

たとえば筋肉ミュージカル、あれなんて番宣でネタバレ放題ですよ…。
まあ、あれは役者の身体能力を見るべきなので、
ストレートプレイと比べるべきではないかも知れませんが…。

わたしはあらゆる物語の感想はみなそれぞれ個人のものであって、
人がつまらないと言っているからって自分もつまらないと感じるわけではないと思います。
芝居に期待するところ、興味を持つ点、見どころって人それぞれ違うと思うからです。

今回の作品が、結末を知ってても何回でも見直したくなるような
奥のふかいものであってほしいです。

それと今回のネタバレ問題とは違うって分かってても、なんか、書きたかった。